子供に語る社会ー原始ー

中学受験

こんにちはお地蔵先生です。

突然ですが、皆さんは子供に社会の質問をされて困ったことはありませんか?

社会は知識がある方でも「中学受験で教えなくてはいけない社会はどこまでだろう?」という悩みを抱えている方は多いです。

今回は「子供に語る社会」というタイトルで、中学受験を検討している保護者の皆さんに子供に教えるべき原始時代の知識を話していきたいと思います。

今回お話したい結論は以下の3点です。

  • 日本の原始は「旧石器時代」「縄文時代」「弥生時代」
  • 原始は身分がない時代
  • 身分差別の始まりは稲作

本文の前に少しだけ私の自己紹介をさせて下さい。

私は大手の塾で子供たちに国語と社会を教えている塾講師歴7年の者です。私が大学入試をしたときの社会の専攻は「政治経済」で、さらに自身が中学受験を経験していなかったため子供たちにどんなことを話していけば良いのか手探り状態でした。

ですから、毎回の授業では必ずテキストの内容を吟味するのは当然のことで、どんな問題が出てくるのか問題分析を行い、子供たちにどのように話せば通じるのか、もっとも良い説明はどんな説明なのかを日々研究しておりました。

そんな私も気が付けば早7年も講師をしており、教え子の中には御三家中学に進学したお子さんから地元の難関私立中学に進学したお子さんなど、多くの合格に携わることができました。

今回はその過程で築き上げてきた「家庭でもできる社会の要点説明」を説明していきたいと思います。

なお、このページはあくまでも中学入試に向けての学習ポイントのまとめであって、歴史の真偽を考察することが趣旨がではないことをご了承ください。また、解説に当たって個人の見解を含む記事であることも十分にご理解いただきますようお願いいたします。

初めに

日本の原始を一言で表すのなら身分の区別が無い時代と言えます。

例えば現代の感覚で言うと、上司や部下というような考えが無いということです。現代社会において当然となっている「偉い人」がいないのです。

これはそもそも守るべき規律が無いことが理由です。

私たちは規律に縛られて生きています。規律には上下関係が存在して、自分よりも偉い人の言うことに従うことで集団生活を営んでいます。

そうしないとみんなが好き勝手にしてしまい、全体として統率が取れなくなり結局集団の全員が損をしてしまいます。だから私たちは規律を守って生きていて、自分よりも立場が上の人の言うことは聞かなくてはいけないのです。

しかし、原始の時代は非力な「ヒト」が大型の動物などを狩って生活していた時代です。当時は大勢をコントロールするようなルールの整備が進んでいませんでした。だから集団の規模がそこまで大きくなく、集団全員が何かしらの役割を持って行動しないといけない時代と言えました。つまり、誰が欠けてしまっても困るためみんなで平等に仕事をしていたのです。

そのため、現代人で言うところの偉い人は存在しなかったのです。

日本の原始の特徴まとめ

日本の原始は大きく分けて3つに分けられます。以下に各時代の名前や特徴をまとめます。

旧石器時代 縄文時代 弥生時代
覚えておきたい遺跡 野尻湖遺跡
岩宿遺跡
三内丸山遺跡
大森貝塚
吉野ケ里遺跡
登呂遺跡
石器 打製石器 磨製石器 磨製石器
土器 縄文土器 弥生土器
金属器 青銅器
鉄器
生活の様子 移住生活 狩猟採集生活 水稲生活

このようにまとめると時代が進むにつれて新しい道具が使われるようになり、元々使われていた道具も進化していることがわかるかと思います。次に時代ごとのポイントを説明をしていきます。

入試やテストで気を付けるポイント

旧石器時代

旧石器時代とは、名前の通り旧石器=打製石器を使用していた時代です。

旧石器時代は今から役200万年前から始まったとされる時代です。日本には旧石器時代の遺跡は無いと考えれていましたが、群馬に岩宿遺跡から打製石器が発掘させて日本にも旧石器時代があったとわかりました。

また、長野県の野尻湖遺跡で発掘されたナウマンゾウなどの大型動物の化石が見つかっています。これによって、旧石器時代の人類は大型動物を狩って生活していたと考えられています。

大型動物を狩るための打製石器なので、大きな棒などにくくりつけて使用していたと考えられるわけです。

縄文時代

縄文時代が旧石器時代と大きく異なるのは縄文土器を使用していた点です。

この土器は縄目の文様が特徴的で縄文土器と名付けられました。土器の使用が始まったことによって、今までは食べることができなかった植物を食べることができるようになり、その結果同じ場所に定住して、狩りと植物採集による狩猟採集生活が始まったと考えられています。

その結果、人類は住む場所を作るようになり竪穴式住居が作られたわけです。この竪穴式住居の集落のあと地が青森県の三内丸山遺跡です。ここでは青森県にも関わらず新潟県のひすいや北海道の黒曜石などが出土しています。これは縄文人が活発に他の集落の人たちと交易をしていたと考える根拠になっています。

また、石器も旧石器時代の打製石器から磨製石器へと進化してます。石を割っただけの打製石器からそのあとに磨いてさらに鋭利にして使用していました。こうした石器を弓矢の矢じりなどに使用していました。
rarたことも特徴の一つです。武器が大きいものから小さく速いものに変わったということは獲物が変わったということで、狩りの対象も大型動物から小型動物に変化していたのだと考えられています。

また、当時の人々の埋葬の仕方に違いが無いことから、この時期は身分の差が無い時代だったとも考えられているわけです。

当時死者は屈葬という体を折り曲げる埋葬方法が主流でした。これは死者が再び墓から出てくることを恐れていたのだと考えれています。このように縄文人は死者や自然に対して霊魂が宿ると考えるアニミズム(精霊信仰)が信じられていたと考えられています。そのさいたるものが土偶です。諸説ありますが土偶は魔除けの効果を期待したものだと考えられています。

弥生時代

弥生時代は水稲による農業が特徴的な時代です。この稲作技術はユーラシア大陸から伝わったと考えられいて、有名な静岡県の登呂遺跡にも水田のあとが残されています。

弥生時代に使用されていた土器は弥生土器です。縄文土器と比べると網目の文様が無くて頑丈なのが特徴です。これは高温で焼く技術が広まったことが理由です。

また、使用していた石器は狩りに使用するものから、米作りに必要な石包丁などの農具に変わっていきました。

特に大きな変化だったのは余剰米(あまったお米)ができたことです。今までは狩りや採集で得たものもすぐに食べれなくなってしまうので、みんなで平等に分けていました。しかし、余剰米ができると「もしもの時に困らない=余裕(権力・経済力)」が生まれて、徐々に貧富の差が生まれています。

そして、みんなが「余裕を持ちたい」と願うようになり、そのために他の集落(ムラ)から奪うための争いが起こるようになります。こうしてムラ同士が争い合い、次第に日本国内の権力が一つにまとまっていくことになります。佐賀県の吉野ケ里遺跡ではムラの争いが読み取れる環濠集落のあとが残っています。人々は他の集落から攻撃されたときに守りを固めやすくするために、集落の周りに堀をほって戦いやすくしました。

また、この時期から使われ始めた道具に金属器があります。主に鉄器は戦いの道具や農具として、青銅器は豊作を祈る祭具として使われていました。これらも稲作技術同様にユーラシア大陸から伝えられたと考えられています。

終わりに

いかがでしたでしょうか?お子さんに説明する際の役に立てば幸いです。

また、「そもそもうちの子は暗記が苦手で困っている」という方は【注意】社会の暗記ができない子供の勉強方法という記事もありますので、良ければご覧ください。

今回私が参考にした書籍は「山川出版社 解説日本史B」になります。手元にテキストを用紙して解説したい方は参考にリンクを貼っておきます。

 

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