初めまして。お地蔵と申します。こちらのページでは私の自己紹介をさせていただきたいと思います。よろしければ最後までお付き合い下さい。
まず初めに
最初に私の教育観について申し上げておきたいと思います。
私は現在20代後半に突入したばかりで、保護者の皆様と比べるとまだまだ若輩者なのですが、子供たちと比べると年長者という微妙な年齢です。
それゆえに子供たちには指導する立場なのに、保護者からすると少し頼りなさが残ってしまうかもしれません。
だからこのページでは私の教育価値観を示すことで、保護者の皆さん私の価値観に賛同していただけるのかをご一考いただきたいのです。
私が考える教育観は「受験は子供の成長のためになくてはならない」です。
そもそも私は自分の受験は高校受験と大学受験しかしていません。
だから私は本来的には中学受験も大学附属の中高への入学もあまり好意的ではなかったのです。
それがこの仕事を始めたことがきっかけで受験に対する考え方も変わりました。
今では中学受験も附属校への進学もとても良いものだと思っていますが、それは子供の成長につながると思い直したからです。
「受験を通して成長していく子供」
「それを見守る保護者の方」
「気付かされる本気の可能性」
本当に受験にはたくさんのことに気づかされました。
だからこそ、受験には子供成長が必須だと考えているのです。
極端な話、全く努力をすることなく、受験ができる有難みにも気が付けないような受験ならば、いくら難関校に合格できたとしても価値は無いと考えています。
そのような私の価値観の基に書かれる記事であることをご理解下さい。
お地蔵先生について
個人プロフィール
- 1995年7月29日に東京都内で出生。男性
- 小学校、中学校、高校は埼玉の公立を卒業
- 大学は大東亜帝国に進学後に4年生で中退
- 大学1年の頃に大手進学集団塾でアルバイトを始める
- 現在でも塾の講師をやりつつフリーランスでも活動中
国語の指導で意識しているポイント
先にも述べた通り、私は小学校のお受験も中学受験も経験がありません。
それゆえ、講師として中学受験の国語の授業を担当するときには、正直舐めていたところがありました。
小学生が読む国語の問題なんて全問解けて当たり前でしょう?
国語は得意だったし問題ないよね!
と完全に侮っていましたが、実際に中学受験の問題を見てみて難易度の高さに驚かされました。
あれ…?難しい…
そして、実際に教えてみて子供に国語を教える難しさに気づかされました。
いや、本当に難しい!
個人的な見解なのですが、国語の先生はこの感覚を共感してもらえないと、子供たちがつらいのではないでしょうか?
自分のつらさをわかってくれない人の意見って聞き入れづらいですよね。
しかし、国語の先生は「なんでこんな文章も読めないの?」や「どうして私の言っていることが理解できないの?」と本心で思っている先生も多いように感じます。
国語を教える先生たちには是非とも「国語の問題は難しいよね」を共感してあげてください。
そのうえで「でもやり方はあるんだよ」と指導をしてあげてほしいと思います。
以上が私が教えているときに国語を教えるときに気を付けているポイントでした。
当時は、将来社会科の教員になることを夢見て塾の講師を始めたので、国語はついでのようなものと考えていたのですが、今では国語を教えることがメインになっています。
社会の指導で意識しているポイント
現代の塾では社会も教えています。
元々社会の教員を目指していたのが理由なのですが、その教員を目指していた理由も実は自分ができないからでした。
別に特別暗記が苦手だったわけではないのですが、暗記する時間が嫌いだったので
1回の授業で定着できる社会の授業を考えてしまえば暗記時間要らないのでは?
覚えるのが苦手な子供でも楽しく社会を学べるような授業をしていきたい!
と考えていたのが動機です。
今現在でもそのような画期的な授業スタイルを完成できていないので、子供たちには暗記を強いてしまっています。
実現が難しいのは承知の上ですが、いつか授業完結できるような社会の授業を完成させたいです!
そんな現在の私が社会の授業内で意識しているのは「暗記の成功体験を積ませること」です。
社会は「できないからやらない」と「やらないからできない」のスパイラルで嫌いな子供が永遠にできるようにならない特徴を持っていると考えています。
だからまずは何が何でも「社会ができる」状態をつくらなくていけません。
そのために授業後に残してその日の確認テストを何度もやり直させたり、次の回の確認テストの範囲の勉強をたくさんやらせたりしました。
そうして一度できるようになれば少なくとも先のスパイラルから脱却できたことになります。
あとはこれを繰り返して「できる」のスパイラルを作っていくだけです。
実際は忘れてしまうことも多々あり、そんな簡単にできるようになるわけではないですが、社会の学習は
「学習習慣さえ身につけば必ずできようになる」
と本気で考えています。
学習習慣を身に着けてことが難しいのですが、そこと向き合うのが社会の担当の仕事だと考えています。
実は勉強嫌い…
私が高校生くらいまでは
「勉強はつまらない」
「人生において必要ない」
「子供の貴重な時間をこんなものに費やすな」
と散々なことを言っていました(笑)
本当にごめんなさい…
私自身がとても幼く、「勉強が人を成長させる」ということを正しく理解できていなかったのだと思います。
しかし、だからこそ子供の「勉強したくない」が私にはよく理解できます。
そして、そんな子供たちを「本人の自覚が出てくるまで成長を待とう」としても遅いことも知っています。
勉強が嫌いだからこそ、大人がきちんと向き合わせてあげる必要があるのです。
そうでないと「あの時しっかり勉強していればよかった」と子供に後悔をさせてしまうかもしれません。
そうならないためにも強制力を持って子供に勉強してもらうことも必要だと考えています。
以上が勉強嫌いだったのに子供に勉強を強いるお地蔵の考え方です。